• ぢーこ

外遊びにこだわりたい理由

最終更新: 3月20日


昨日は、未就園の二歳から三歳児を預かって谷戸で遊ぶ「谷戸保育」の日でした。 今年度二回目の谷戸保育。

そして、昨年一期生が巣立ち、晴れて二期目スタートの谷戸保育です。 晴れてても、雨でも、暑くても、寒くても、私は外遊びにこだわりたいと思ってきました。 自分の育児を振り返っても、こどもの一か月検診後から、毎日必ず外に出ていました。 病気で寝込んでいる日以外は、常に外に。 それにはいくつかの理由があるのですが、今日はちょっとそれを書いてみたいと思います。

①お母さんのストレス軽減

まずは、そこだと思います。 何しろ、狭い家の中で子どもと二人っきりで向き合う生活は、爆発しそうな感情との戦いでした。 家の中には、こどもに触ってほしくないものもたくさんあります。 それをいちいち、触るなと言って回るのは、お互いのストレスです。

子どもだって、自分のやりたいようにするのをとめられるのは嫌だし、かわいいわが子に、好きなようにさせてあげられない自分、うまく子どもの感情をコントロールして穏やかに過ごさせてやることができない自分を「だめなお母さん」だと思ってしまうのも、こんな時。 また、子どもに時間を割こうとすると、どうしても家事はおろそかになり、家の中は荒れ放題に荒れます。 あまりに荒れた家の中は、仕事を辞めて家庭に入ったばかりな自分の「主婦能力の無さ」をこれでもかと知らされるようで、ますますダメな自分を突きつけられます。 (本当は、そんなのは、ダメでもなんでもないのですが、「ちゃんとできること」が評価の絶対基準だと、子どものころから教育現場で刷り込まれていると、その価値観から抜け出すのは容易なことではありません。できない自分、ダメな自分と、自分では思いたくなくても、周りがそう考えているのではないかと、存在しない視線におびえてしまうのですね) 日本の少子化が進む背景には、育児が母親の自己肯定感を下げるものになってしまっている現状も、関係しているのではないかと思うくらいです。 さて。外遊びは、母親のストレスを確実に減らします。

なぜか。 それは一番には、家庭から逃げることができるからだと思います。 たたまれないで山になっている洗濯物も、台所のシンクを占領する洗い物も、家から出てしまえば見えません。 毎日外に出てくる母ちゃんたちに訊くと、みんな「家から逃げてるの」と申し訳なさそうに言います。 いいんですよ、逃げて。 子育て家庭の家事は、戦いです。一人で全てと戦えるわけないんだから。 一番大事なのは、家庭が整っていることなんかなじゃくて、目の前の子どもと自分が笑っていられることなんだから。 笑えなくなったら負けなんです。 私の大好きな、西原理恵子さんの言葉に「離乳食がインスタントラーメンでも、母ちゃんが笑っていられることの方が子どもには大事!」っていうのがあって、本当にその通りだと思います。 (あえて注釈付けますが、毎日毎回インスタントラーメンを食べさせなさい、と言う意味ではもちろんなくて、たまにそんな手抜きの食事を出すことになったからって、自分を責めて責めて、子どもの前で眉間にしわ寄せて暗い顔することはないんだよ、っていう愛のある言葉だと思ってます。) 外遊びは、母ちゃんの強い味方になるのです。

②こどもの育ちを「向き合わず」に見守ることができる

これも、言ってしまえば、お母さんのストレス軽減なんですけども。 家の中は、親子で面と向かわねばならないことだらけです。 なぜか。

それは、「してあげなくちゃいけない」といろんな場面で思わされるから&子どもが求めてくるからです。 育児書を開けば、「赤ちゃんにおっぱいを飲ませる時は、目を見て時に話しかけながら、ゆったりとした気持ちであげましょう」なんてことが書いてある。

「テレビを見せる時は、お母さんも一緒に赤ちゃんと並んでみましょう。同じものをいっしょに楽しむことで赤ちゃんの共感性を育くむ良い機会です。」なんてことも書いてある。 それ、無理ですから。 子どもが面白くなるのは、動きだし、しゃべり出してからです。 何も言わないで、寝てるか泣いてるか飲んでるか、って状態の赤ん坊を、そんなに一生懸命鎌ってやれないですから。 それに、テレビを見せるのは、家事をしたいときです。 夕飯づくりという戦場に放り込まれたお母さんに、「おかあさんといっしょ」をいっしょに見ている余裕はないですから。

「向き合う」ことは、ある場面では大事なことなのかもしれないけれど、終始、子どもを見つめるというのは、それはそれは大変な精神力が必要なことなのです。そして、母ちゃんというのは、普通の人がなるものだから、そこまでタフなものでもない。

それに、周りからの圧力がなくたって、子どもは家の中では始終母ちゃんを求めてくるので、向き合わざるを得ない。

なぜなら、家の中みたいな、勝手知ったる場所は、子どもにとっては何の刺激もない退屈な場所だからですよね。

でも、その向き合うことができないと、子育て母ちゃん失格みたいに言われてしまう。 とんでもない話です。

向き合うなんてのは、大人同士だって大変なことです。 自分のすべてを相手に始終みられている関係、相手のすべてを始終見せられてる関係なんて、想像しただけでつらいでしょう?

向き合うのではなく、同じ方向を見るのがいいのです。

外には、子どもの興味を引くものがたくさん。 小石も、花も、虫も、水も、お散歩中のわんこも、何もかも、子どもには目新しい友達です。 母ちゃんのことなんか、ほったらかしで、そっちを見ててくれます。 母ちゃんは、それを後ろから眺めているだけでいいんです。 困った時、一緒に喜んでほしい時、子どもは振り返って母ちゃんを求めますから、その時だけ、こたえてあげたらいいだと思います。 始終向き合う必要のない育児は、母ちゃんの心を解放します。

③乳幼児の育ちに必要なものはすべて外にある

これは、感覚統合の話とも関係してくるのですが、こどもは小さな大人ではありません。 大人は成熟した生き物ですが、子どもはこれから成熟していく発展途上の生き物なんです。 ライオンでもなんでも、母ちゃんというのは、普段はダラダラごろごろして、子どもが転げまわって遊んでいても見てるだけで何もしないし、無駄な動きはしません。 でも、子どもがしでかすことは、大人にとっては無駄なことだらけです。 なぜか? その無駄な経験が、こどもの脳を作る糧だからです。

子どもの脳は、買ったばかりのまっさらなスマホみたいなものです。 基本的機能(電話やメールやインターネット接続)はついていても、アプリを入れてやらないと、便利にはなりません。 子どもがいろいろ経験したいのは、大人が便利なアプリをインストールしたいのと同じです。 自分にできる機能を増やしていきたいのです。 ハイハイするのも、立ち上がるのも、歩くのも、大人が何かしてあげられるわけではありません。 子どもが自分で試行錯誤して、動き方をつかみ、獲得していくものです。 子どもがしている一見無駄なことは、これから獲得していく子どもの生活機能を向上するために、「何かで役に立つはず」のことなんです。

そして、外の自然の中には、子どもの無駄を引き出すものがたくさんあるし、無駄を受け入れる余裕も同じくたくさんあるのです。

脳科学の権威、養老先生は言っておられます。 「自然に触れることが大切なのは、自然は予想がつかないリアクションを返すものだからだ。人の脳は、予想がつかない出来事に出合った時に活性化し、これはなんだ?と考えることで自らを進化させていく。都市と言うのは、人がつくったもので、全て予想ができるものでできている。5階のボタンを押したのに、エレベーターが2階で止まることはない。そのようなものに囲まれて生きていると、人の脳はどんどん退化する。」

「?」がたくさん生まれる環境に身を置くことが、子どもの脳の発達に良いという事ですよね。

小さな虫が動くのをじっと見つめる瞳。

林の中から聞こえてくるウグイスの鳴き声に耳を澄ませる経験。

水面を棒でバシャバシャと叩いたときに上がる水しぶきを、耳と、眼と、触覚で味わう。

これらが、子どもの育ちを作るのです。

これだけそろっているのに、お外に出ない理由がないですよね。(^-^) 私はそれに、付け加えて

「お外には友達がいる!」 と言う喜びも子どもたちに味わわせてあげたいと思ってます。 だから、みんなで外に遊びに行くことを大事にしたいと思っているのです。

#ぢーこのつぶやき

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